安全地帯のドラムして活動していた田中裕二さんは2019年に脳内出血で入院し、このたび2022年12月17日の夜に逝去されました。
享年65歳の若さでしたが、闘病も長かったようです。
11月17日に行われた安全地帯40周年ライブにも出演を見合わせていたところだったのです。
公式サイトは「かねてより療養中でありましたところ、2022年12月17日の夜、ご家族に見守られながら永い眠りにつきました」とつづっていました。
田中さんは人柄も良くとても愛される方だったとのことで、悼む声が多く届いているとのことです。
今回の記事では、
- 田中裕二(安全地帯)結婚相手
- 田中裕二(安全地帯)子供
- 田中裕二(安全地帯)wiki経歴プロフィール
- 田中裕二(安全地帯)カフェ閉店について
を紹介していきます。
田中裕二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
田中裕二(安全地帯)結婚相手は?
奥さまはいらっしゃるようで、今回の事務所の発表でもありましたがご家族に見守られての逝去だったということで、奥さまもさぞかし胸を傷めておられるでしょう。
奥さまはおそらく一般人の方なのでまったく情報はありません。
田中裕二さんは、一度安全地帯を脱退しているのです。
そして、家業である自動車屋を引き継いでいました。
そのころ安全地帯は、井上陽水さんのサポートとして声がかかり、そこからバンドは軌道に乗り始めます。
田中裕二さんは「安全地帯が上手くいけばいいな」と離れた場所から応援していたようです。
いろんな状況になる時代を奥さまもきっと支えてこられたのかもしれませんね。
田中裕二(安全地帯)に子供はいる?
「ILOVEYOUからはじめよう」というライブドキュメンタリーにちらりと映ってたと言う噂がありますが、本当のところはわかりません。
娘さんが一人というのはあちこちで情報が飛び交っていますので、おそらく一人娘さんなのではないかと思います。
闘病の父親は支えてこられたのかもしれませんね。
田中裕二(安全地帯)wiki経歴プロフィール
田中裕二さんのwiki経歴プロフィールを紹介していきます。
名前 | 田中 裕二(たなか ゆうじ) |
誕生日 | 1957年5月29日 |
出身地 | 北海道 |
血液型 | O型 |
職業 | ドラマー→カフェ経営 |
田中裕二(安全地帯)さんがドラムを始めたのは中学2年生の頃でした。
そして中学3年時、ギターを弾いていた同級生の矢萩渉さんとバンドを結成。
ベースとキーボードを弾いていた六土開正率いる『六土開正バンド』に矢萩さんと参加することになりコピーバンドとして活動していきます。
1977年からロックバンド『安全地帯』とバンドを合体させ、正式に安全地帯のメンバーとして活動します。
1978年の11月に安全地帯を家業の自動車整備工場を継ぐため一時脱退し、1981年、安全地帯は井上陽水のコンサートツアーのバックバンドに抜擢され、再度後悔しないよう参加をすることにしました。
田中裕二(安全地帯)カフェ閉店について
田中裕二(安全地帯)さんのカフェは安全地帯のメンバーが経営ということもあってすぐに話題になりました。
かなり多くのメディアで取り上げられ人気を集めていたのもそうですが、実際にはメニューはイタリアンテイストのものが多く、お店で出す紅茶は日本紅茶協会の「おいしい紅茶の店」にも認定されているほどなので実力もあったということです。
しかし、おそらくご病気もあったりコロナの影響も少なくなく、2020年の8月1日をもって経営が終了していました。
まとめ
安全地帯のドラムして活動していた田中裕二さんはこのたび2022年12月17日の夜に逝去されました。
享年65歳の若さでした。
中学の頃からバンド活動をしており、縁あって安全地帯に参加。軌道に乗りそうなときに家の事情で家業の自動車屋を引き継ぎましたのでその時に一度脱退。
しかし安全地帯から再度声がかかり後悔しないためにも再度参加していきました。
その後、個人の活動、バンド活動もしながらカフェの経営を始めます。カフェはメディアにも多く取り上げられとても人気なお店で繁盛していたようです。
しかし2019年に脳内出血により闘病が始まり、そのせいもあってか2020年にカフェは閉店していました。
このたびの悲しいお知らせにたくさんのファンの方から声が寄せられているようです。
田中裕二さんのご冥福をお祈り申し上げます。