松竹ヌーベルバーグとも呼ばれ、数々の作品を手掛けてきた映画監督の吉田喜重さん。
吉田喜重さんの妻は、昭和を代表する女優である岡田茉莉子さんですが、お二人の間にはお子さんはいらっしゃいません。
結婚60年を迎えるにも関わらず、子供を作らなかった理由とは一体なんなのでしょうか?
今回は、そんなお二人の生きざまや信念にも繋がるエピソードをご紹介していきたいと思います!
吉田喜重と岡田茉莉子に子供はいない⁉
1964年に結婚されたという事は、第二次ベビーブームの少し前という事で、世の中的にも子供を産むことが当たり前のような時代だったと思いますが、一体なぜお子さんを作らなかったのでしょうか?
そこには、妻である岡田茉莉子さんの女優としての覚悟がありました。
家族を増やさない理由とは⁉︎
昭和を代表する女優で、当時絶大な人気を誇っていた岡田茉莉子さん。結婚後も子供を作らなかった理由について以前このようにインタビューに答えていました。
子供を作ったら若さを保つために整形をしないといけないから
一見すると、どうゆう意味?と思ってしまうかもしれませんが、子供を出産すれば当然子育てに追われ、これまで当たり前にできていた事も出来なくなるほど自分の時間はありませんよね。
夫である吉田喜重さんも映画監督ですから、女優業にまい進する岡田茉莉子さんの意見に反対する事はなかったのだろうと思います。
吉田喜重と岡田茉莉子の馴れ初めは?
昭和を代表する女優と映画監督の結婚。お二人の馴れ初めは一体どんなものだったのか調べてみました!
お二人はその後1964年に結婚。
吉田喜重wiki経歴プロフィール
吉田喜重さんのプロフィールや経歴をご紹介します。
名前 | 吉田喜重(よしだ よししげ) |
生年月日 | 1933年2月16日(89歳没) |
出身地 | 福井県福井市 |
職業 | 映画監督・演出家・脚本家 |
活動期間 | 1955年~2022年 |
監督作品 | 「ろくでなし」・「秋津温泉」・「日本脱出」 「人間の約束」「鏡の女たち」など |
吉田喜重さんは、東京大学文学部を卒業後1955年に松竹に入社。
大島渚さん、篠田正浩さんと共に「松竹ヌーベルバーグ」の旗手として活躍されました。ヌーベルバーグとは日本の映画監督による日本映画のムーブメントの事で「政治」や「性」を描くという点に共通点があります。
1964年「秋津温泉」にて主演女優を務めた岡田茉莉子さんと結婚。
岡田茉莉子さんとの新婚旅行中に、自身の6作目の作品である「日本脱出」のラストシーンを所属していた松竹が勝手にカットした事に納得のいかなかった吉田喜重さんは会社と対立。松竹を退社する事となりました。
松竹を退社後は、独立し「現代映画社」を設立。1969年に「エロス+虐殺」1970年に「煉獄エロイカ」、1973年には「戒厳令」発表。
その後は映画製作からは一旦離れ、テレビドキュメンタリーなどを多く手掛ける事となります。
それ以降発表した作品も度々海外から賞賛されるなど、後年は国内だけにとどまらず海外での評価もあがっていました。
2020年にはおよそ10年以上もの長い期間を経て執筆した歴史長編小説「贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を発表しました。
2022年12月8日、肺炎の為都内の病院にて亡くなっていた事が発表されました。
まとめ
今回は日本映画界の巨匠、吉田喜重さんと大女優・岡田茉莉子さんご夫妻について、なぜこれまで子供がいなかったのかその真相や、吉田喜重さんのこれまでの半生などをご紹介させて頂きました。
映画を共に作り、監督・女優として並々ならぬ信念を抱いていた吉田喜重さんと妻の岡田茉莉子さん。
女優であり続けるために、結婚後も子供をもうけなかった岡田茉莉子さんですが、きっとそんな女優魂を持つ岡田茉莉子さんに、吉田喜重さんも惹かれていたのかもしれませんね。
吉田喜重さんを見送った岡田茉莉子さんも、現在89歳となっていますのでお体には十分に気を付けて、まだまだお元気に過ごされて欲しいなと思います。