2023年2月16日放送の奇跡体験!アンビリバボーで気象学者の藤田哲也さんの特集があります。
藤田哲也さんは、Mr.トルネード 世界の空を救った男と呼ばれていて、日本ではあまり知られていないのですが、世界ではとても有名で世界に貢献された方です。
なんといっても「世界の空を救った男」と呼ばれているほどの人です。
現在、「スペースワールド」の跡地に建設される複合商業施設、北九州市科学館「スペースLABO」の一階部分に顕彰コーナーができたり、2022年から記念展示館なども相次いで設置されて、日本ではなぜか今注目され始めているようです。
今回の記事では、
- 藤田哲也(気象学者)とは何者?
- 藤田哲也(気象学者)のwiki経歴プロフィール
- 藤田哲也(気象学者)の海外の反応について
- 藤田哲也(気象学者)の学歴まとめ
などを紹介していきますので、世界の藤田哲也さんをよーく日本人として知っておきましょう。
藤田哲也(気象学者)とは何者?
国籍はアメリカだったようですね。
ダウンバーストと呼ばれる下降噴流とトルネード(竜巻)の研究における世界的権威として知られています。
優れた業績から Mr. Tornado(ミスター・トルネード)、Dr. Tornado(竜巻博士)とも称されているほど世界では有名なのです。
もしもノーベル賞に気象部門があったなら、受賞は間違いないだろうと言われていた程の人なのに、日本では知られていないのは悲しい話ですよね。
藤田哲也さんの名まえが広がった一番の功績は以下のものです。
しかし、航空会社はどうしても納得がいかなかったそうです。
そこでこの藤田哲也さんに事故原因の再調査を依頼したということなのですが、この時点で世界で有名にはなっていたということですよね。
その後、ダウンバーストはドップラー・レーダーを使用することで、事前にある程度の予測が可能であることを立証し、世界各地の空港にドップラー・レーダーが配備されるようになったと言う流れなのです。
このパイロットの操縦ミスの見解もひっくり返し、さらに今後の予測が可能ということまで立証したというのは本当にすごいですね。
藤田哲也(気象学者)のwiki経歴プロフィール
名まえ | 藤田哲也 ふじたてつや |
生年月日 | 1920年10月23日 |
出身地 | 福岡県 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
死没 | 1998年11月19日(78歳没) |
1953年に東京大学で博士号を取得し、シカゴ大学の教授から招聘され、渡米し同大学の気象学客員研究員となりました。
- 1965年 :シカゴ大学教授に就任する。
- 1965年:九州工業大学の「第二回嘉村賞」を受賞
- 1968年: アメリカ市民権を取得
- 1971年:竜巻の規模を示す Fujita-Pearson Tornado Scale (F-Scale) を考案
- 1975年:ジョン・F・ケネディ国際空港で発生した航空機事故の調査を行い、ダウンバーストの研究を本格化
- 1989年:気象学界のノーベル賞と呼ばれるフランス国立航空宇宙アカデミー賞・金メダルを授与
- 1991年:シカゴ大学名誉教授となる (「チャールズ・E・メリアム特勲名誉教綬」の特勲を授かる)。勲二等瑞宝章を受章
- 1998年11月19日: 糖尿病により自宅で死去。享年78でした。
藤田哲也(気象学者)の海外の反応について
米国では偉人、日本では無名という揶揄があるほど日本人は知らなさすぎるのです。
32歳のとき渡米し、シカゴ大学の教授にまで上り詰め、「ミスタートルネード(竜巻)」「世界の空を救った男」と呼ばれたほどの男であり、今安心して飛行機に乗れるのは、藤田哲也博士のおかげだということを知りました。
この功績は、アメリカでは広く知られていて、「Mrトルネード」と言われてるけど、日本では無名なのが悲しいです。
藤田哲也(気象学者)の学歴まとめ
1939年(昭和14年): 小倉中学校(現在の福岡県立小倉高等学校)を卒業。在籍時に第一回理科賞を受賞
1943年(昭和18年): 明治専門学校(現在の九州工業大学)工学部機械科を卒業すると同時に、同大学で助手、物理学助教授に就任します。
まとめ
藤田哲也さんは、Mr.トルネード 世界の空を救った男と呼ばれていて、日本ではあまり知られていないのですが、世界ではとても有名で世界に貢献された方。
今安全に飛行機が飛べているのも、この藤田哲也さんの功績が大きいのです。
藤田さんはアメリカ国籍だったので、海外ではミスタートルネードと呼ばれ歴史上の人物にすらなっているのに日本では無名でした。
今やっとTvでの特集や地元での展示会など日本でも功績を公開しているところです。