サッカー日本代表選手として最年少の21歳と話題の久保建英(くぼたけふさ)選手について解説していきます。
日本代表選手として活躍するまでには家族の支えがありました。
そんな久保建英選手の家族構成、職業、年齢などについて徹底解説していきます。
ぜひ、最後まで読んでくださいね。
久保建英の家族構成まとめ
お父様は久保健史(たけふみ)さんです。
和歌山県出身で1971年生まれです。
お父様の名前は健史さん、息子さんは建英さん。
お父様の漢字を使って久保建英選手の名前を付けたと考えられます。
お母様のお名前や詳細はこちらで確認できかねます。
お母様は一般人のようです。
久保建英選手には6歳下の弟瑛史(えいじ)さんがいます。
弟の瑛史さんもサッカーをやっているようです。
では、それぞれについて詳しく見ていきたいと思います。
久保建英の父親の職業や年齢
次は久保建英選手のお父様健史さんの職業と年齢についてまとめていきます。
健史さんはミサワホーム株式会社に勤めています。
東証一部上場企業でハウスメーカーとしては大手企業として有名です。
ミサワホームのホームページに社内の人事異動のサイトがありました。
そこには、
『人事総務部担当部長兼プライムライフテクノロジー出向:久保健史』
と記載されていました。
つまり、人事総務部、人事部長ということになりますね。
大企業の部長の平均年収は約1220万円、平均賞与は約340万円、平均給与は約73万円になっています。
そのため、久保健史さんも年収1200万円ほどはあるのではないでしょうか。
久保健史さんは1971年生まれの男性です。
久保健史さんは元々サッカーをしていたこともあり、息子である久保建英選手にサッカーを始めさせたと考えられます。
久保健史さんはサッカー名門の筑波大学蹴球部に所属していました。
しかし、残念ながらレギュラーに選ばれることなく、4軍で卒業しています。
筑波大学蹴球部には1軍から5軍まであり、一般的には4年間所属すれば3軍にまでは上がれます。
ですが、健史さんは4軍止まりだったこともあり、同級生らからは「覚えていない」と言われるほどです。
しかし、ここで終わらないのが健史さんです。
サッカーへの情熱を息子へ注ぎます。
久保建英選手がサッカー選手になれるようにと、2歳からボールを触らせ、1年間に360日以上はボールを触るようにしていました。
360日以上とのことなので、ほぼ毎日ということになりますね。
また、サッカーに打ち込めるようにと、リビングにはソファーやテレビを置かなかったといいます。
普段から外で遊ぶ習慣をつけることが目的でした。
さらに、足の感覚を身につけるために裸足で遊ばせていました。
ここまで久保建英選手のお父様についてまとめてきました。
久保建英選手がサッカー選手になれるように熱心に環境を整えてきたということがわかりました。
久保建英の母親の職業や年齢
しかし、久保建英選手のお母様に関するエピソードが2つ見つかったため、そちらをご紹介させていただきます。
1つ目は、教育方針として、長男として生まれてきた建英も次男のように育てるということでした。
その理由として3つ挙げられていました。
①長男は周囲への気遣いができてしまうが故、行動力に欠ける傾向にある
②長男は自分の気持ちをストレートに表現しにくい傾向がある
③スポーツ界芸能界で活躍している人は次男が多い
これらの理由があったようです。
確かに、「お兄ちゃんなんだから」と言われることが多く、萎縮してしまう長男、長女が多いイメージがありますね。
2つ目は大量の絵本を読み聞かせ想像力・思考力・集中力を養うことです。
久保建英選手の自宅には当時400冊以上の絵本があり、これらの絵本を毎日読んでいたそうです。
さらに、図書館で毎週20冊以上借りるようにしています。
久保建英の兄弟について
瑛史さんは久保建英選手の6歳年下とのことから14歳となります。
現在サッカーをしており、横浜Fマリノスプライマリーに所属しています。
決勝でスタメンに選ばれていることからレギュラーとして活躍していると推定できます。
サッカーW杯は以下も検索されています、ぜひ参考にして下さい!













まとめ
ここまで久保建英選手の家族構成についてまとめてきました。
お父様の健史さん
・ミサワホーム株式会社の人事部長で年収1200万円
・久保建英選手にサッカー選手になってほしいと2歳からボールを触らせている
お母様
・教育に熱心であり、次男のように育てる、絵本の読み聞かせをする
弟瑛史さん
・サッカーをしている14歳
ということになります。
ここまで久保建英選手の家族構成についてまとめて来ましたが、新しい情報が見つかり次第更新していきます。